篠笛の歴史

篠笛は、おおよそ「日本に存在する竹の横笛の中から、雅楽の笛(龍笛・高麗笛・神楽笛)と能の笛(能管)、竹紙笛を除いた竹の横笛」に相当します。しかしながら、このような消去法的では、中々具体的な篠笛像を捉えることができません。また、「古来、日本人に親しまれてきた・・・」という篠笛を説明する際の「枕詞」も抽象的すぎる嫌いがあります。とはいえ、「篠笛の歴史」がないわけではありません。ここでは、可能な範囲で時間をさかのぼって篠笛の歴史と文化を考える材料を提示し、その具体像に迫ります。

篠笛の形態は時代や地域によって様々で、何を以て「篠笛」と定義するのかは難しい問題ですが、おおよそ以下のような共通の特徴を持っています。

・旋律楽器
・高音で遠音のさす透き通った音色
・ピロピロと鼓膜に響く華やかな指打ち音

日本の楽器

我が国の楽器は、フエ・ツヅミ・コト・カネの四つに大別することができます。 フエは息を込めて音を鳴らす楽器、ツヅミは胴に皮や革を張って打つ太鼓の類、 コトは糸を弾く絃楽器、カネは金属製の打楽器の総称です。フエは、歌のように様々に音高を変化させて持続音を以て旋律を奏でることができる楽器です。 語源は「吹枝(ふきえ)」などと言われ「笛」の漢字を当てました(「由」は空洞を示す)。

横笛の類をはじめ、かつて雅楽で用いられていた古代尺八や、中世末期から近世にかけて流行した一節切(ひとよぎり)、 虚無僧の法器であった普化尺八、雅楽の笙(しょう)や篳篥(ひちりき)など、我が国の吹奏楽器は、竹の空洞をうまく利用して作られています。

『神職寳鑑』[篠笛文化研究社 所蔵]

日本の横笛

日本に古くから伝わる横笛には、雅楽で用いられる「龍笛(りゅうてき)」「高麗笛(こまぶえ)」「神楽笛(かぐらぶえ)」、能に用いられる「能管(のうかん)」、そして、「篠笛」があります。これらの横笛は、宮中や社寺の祭、娯楽のための芸能など様々な場面で吹き伝えられてきました(古典で「横笛」と記される場合は「おうてき」「ようじょう」と読んで「龍笛」を指すことが多い)。

 
二月初卯石清水八幡宮神楽の図『諸国図会年中行事大成』
カミ迎えの庭燎(にわび)が焚かれ、神楽笛、篳篥(ひちりき)、和琴(わごん)の音に乗せて人長(にんじょう)と神子(みこ)が舞う。
翁式三「能楽百番」[篠笛文化研究社 所蔵]

篠笛の分類

多様な篠笛を、①「民俗的調音篠笛」(民俗調)、②「古典的調音篠笛」(古典調)、③「邦楽的調音篠笛」(邦楽調<唄用>)の三つに大別すると便利です。

「調」は「調律」ではなく「調音」を意味します。

②と③は十二律に合わせるので「調律」として良いのですが、①は律に合わせるわけではないので「調音」とすることが適切です。そのため、①、②、③の「調」はすべて「調音」の意とします。

「古典」は雅楽(近世邦楽から見た古典の意)、「邦楽」は三味線音楽を代表とする近世邦楽を指します。

篠笛文化研究社の篠笛は、各指孔の音高にあえて幅を持たせています。これは、調音にとらわれすぎると、自然な指運びが困難な位置に孔を配したり、 極端に小さな指孔をあけたりすることになって、音量や音色が損なわれることがあるからです。

民俗調の篠笛
(民俗的調音篠笛)

各地の祭で用いられている篠笛の中で、「古典調」と「邦楽調」以外のものを総称して「民俗調」とします。地域独自の指孔配置の篠笛で、均等孔や変則孔など指孔の配置から音を探る「調孔笛」と、地域独自の民俗律を基準に音を探る「調音笛」とがあります。これらの笛から紡ぎ出される音の体系は、「方言」のように地域の人々にとって違和感なく慣れ親しまれてきたものです。「古典調」から変化したと思われる「民俗調」の篠笛もあります。

様々な仕様の篠笛
獅子髪洗ひ乃図[篠笛文化研究社 所蔵]木版画(原図:英一蝶)笛や太鼓の音に乗せて猿田彦(天狗)が簓(ささら)を摺って獅子を導く。江戸に下った伊勢大神楽と思われる。

古典調の篠笛
(古典的調音篠笛)

古くから流通している形式の笛で、均整のとれた指孔の大きさと配置が特徴です。雅楽の笛(龍笛、高麗笛、神楽笛)の指孔の配置・音階を模した様子が確認され、雅楽の笛師が作った笛が祖型かもしれません。江戸の古銘「獅子田(ししだ)」の笛にその特徴がよく表れています。古典とは、ここでは近世邦楽の成立以前から存在する雅楽を意味します。音幅が、おおよそ三律と二律と一律の組み合わせで構成されています。明るい音階でよく響き、指孔も無理なく押さえることができます。三味線音楽のほか、各地の祭でもよく用いられており、和太鼓との共演にも適しています。

岸和田祭の地車の鳴物専用篠笛「岸極-きしのきわみ-」
岸和田祭の地車(だんじり)
『日本唐土二千年袖鑑拾遺』[篠笛文化研究社 所蔵]に描かれた江戸時代後期の天神祭の地車の絵を元に作画。欄干に腰かけて笛を吹く。

邦楽調(唄用)の篠笛
(邦楽的調音篠笛)

「邦楽調」の篠笛は、歌舞伎の三味線音楽の中で生まれました。既存の「古典調」や 「民俗調」の篠笛では、十二律を基本とする三味線と演奏する際に音のズレが気になることがありました。また、様々な規格の篠笛が出回っていたこともあって、三味線音楽の世界では「篠笛は音痴である」という印象が強かったようです。長らく、息遣いや運指を工夫しつつ吹かれていましたが、明治17年(1884)生まれの歌舞伎囃子方、五世・福原百之助氏(1884-1962)は「歌舞伎の篠笛」の改良の必要性を感じて、「新案篠笛」を考案しました。この笛は「古典調」とは異なる音階で、二律と一律の音の組み合わせで構成されます。

さらに研究を重ねたのが実子の六世・福原百之助氏(人間国宝、四世・寶山左衛門)<1922-2010>で、自伝などによると、昭和21年(1946)に父考案の篠笛の改良形を完成させています。氏は、この笛を「改良篠笛」と呼んだようですが、後に「唄用の篠笛」の名称が広がります。「長唄をはじめ日本の歌の奏楽に適した笛」という解釈で良いでしょう。この「改良篠笛・唄用篠笛」の系譜に連なる篠笛を「邦楽的調音篠笛」(邦楽調)と呼ぶことにします。この篠笛は、三味線のほか、箏、わらべ歌、民謡など様々な日本の歌とも親和性の高い篠笛です。

近年、西洋12平均律で調音した篠笛風洋楽調横笛(ドレミの笛)を唄用と呼ぶ事例が散見されますが、間違いです(漢字を替えただけの歌用という表記や、すでに日本音楽の分野で一般的に用いられている歌物という言葉も誤解を招くので適切ではありません)。

都芝居盆狂言大踊之図『歌舞妓事始』宝暦十二年(1762)[国立国会図書館 所蔵]
三味線の伝来当時は日本の横笛との共演は斬新であった(絵図の笛は篠笛か能管かは不明)。
五世・福原百之助ゆかりの原・邦楽調(唄用)の篠笛[山田藍山 所蔵]

篠笛の源流

唐楽(とうがく)や三韓楽(さんかんがく)<百済・高句麗・新羅の楽>といった体系的な芸能の伝来以前に「日本列島土着の」と言える横笛があったのかどうかは大きな関心事ですが、詳しくは判らないというのが現状です。

篠笛の祖型となる横笛には、(1)日本列島で生み出された横笛、(2)中国大陸、東南アジア、朝鮮半島から伝来した横笛、の二つの系統が考えられます。(1)の場合も、その「日本人」が、どこから来たのか、また、我々と生物的・文化的にどのように繋がっているのか定かではありません。ただし、少なくとも千数百年以上にわたって、竹の横笛は日本で育まれてきたことには違いありません。ここでは、可能な限り歴史を遡って篠笛の源流に近付いてみたいと思います。


現存する日本最古の横笛

正倉院には、奈良時代、天平勝宝四年(752)に催された東大寺の大仏開眼会で披露された国内外の様々な芸能に用いられたと思われる楽器、伎楽面、衣装などが保存されており、その中に横笛もあります。竹の笛が二管、そして、象牙の笛が一管、石の笛が一管、計四管が正倉院に収められています。竹の笛には、管頭の裏側に竹の葉柄(小枝)がそのまま残っています(現在の龍笛や能管にもセミと呼ばれる名残がある)。指孔は現在の龍笛と比べると小さく、現在の篠笛のような佇まいです。象牙の笛と石の笛は実際に吹かれたかどうかわかりません。よく見ると竹の節と葉柄の装飾があるので、竹の笛が元にあって、それを模して作られたことがわかります。

斑竹横笛(はんちくのおうてき)
『正倉院宝物にみる舞楽・遊戯具』を参考に模写。東大寺と記される。

歴史書の中の笛

中国の隋(581~618)の歴史を扱う『隋書』(7世紀に成立)東夷伝・倭國(わこく)の条に「樂有五弦琴笛」と見え、五弦の琵琶・琴・笛(あるいは五弦の琴と笛)があったことが判ります。我が国の史料では、和銅六年(713)の詔によって編纂された『常陸国風土記』行方郡(なめかたのこおり)の条に「天之鳥笛」「天之鳥琴」と見え、歌舞をなしたとあります。養老四年(720)成立の『日本書紀』継体天皇七年(514)九月の条には「隠国(こもりく)の/泊瀬(はつせ)の川ゆ/流れ来る/竹の/いくみ竹よ竹/本辺(もとへ)をば/琴に作り/末辺(すゑへ)をば/笛に作り/吹き鳴す・・・」(『新編日本古典文学全集』)とあります。
 これらの「笛」が横笛であったかどうか定かではありませんが、「歌・笛・琴」という組み合わせは、「御神楽(みかぐら)」や「五節舞(ごせちのまい)」、「東遊(あずまあそび)」、「久米舞(くめまい)」のような、日本古来の国風歌舞(くにぶりのうたまい)を連想させます。

『日本書紀』(写本)[国立国会図書館 所蔵]
笛は「府曳」と記される。

発掘された横笛

考古学の世界でも、残念ながら竹笛の出土は極めて少なく、横笛を吹く埴輪も出土していません。奈良県天理市の星塚1号古墳からは、古墳時代後期とされる、孔の開いた笛状木製品(マツ製)が出土していますが、笛であったかどうか定かではありません。福島県玉川村の江平(えだいら)遺跡からは、竹製の横笛が発掘されており、六孔と五孔の案で復元されています。一応、奈良時代のものとされていますが、その根拠は曖昧です。宮城県名取市の清水(しみず)遺跡からは六孔と思われる竹製の横笛が発掘されており、平安時代初期のものとされています。これらの横笛は、表面に漆や樺巻が施されておらず、正倉院に所蔵されている奈良時代の横笛(竹製×2、象牙製×1、石製×1管)と類似しています。現在の雅楽の横笛と比べると歌口や指孔が小さく、現行の篠笛に近い設計思想が感じられます。

清水遺跡出土の横笛『東北新幹線関係遺跡調査報告書』Ⅴ
江平遺跡出土の横笛の接合図『福島空港・あぶくま南道路遺跡発掘調査報告』12

篠笛の語源

「篠笛」という名称は和楽器の世界では広く知られていますが、現在でも単に「笛」と呼び、「篠笛」では通じない祭や分野があります。「篠笛」という単語は、いつ頃、生まれたのでしょうか。
「篠」は「細い竹」を意味するので、「篠笛」の直訳は「細い竹の笛」となります。歌舞伎囃子は能の囃子を基礎に発達したので、当初は、歌舞伎で「笛」と言えば「能管」を指しました。「篠笛」は、「笛(能管)」と区別して「シノ」、あるいは「竹笛」などと呼ばれます。「シノ」は「能管に比べて細い笛」、「竹笛」は「表面に塗りのない笛」という意味でしょう。 「シノ」から「シノのフエ」「シノブエ」の読みも考えられそうです。「篠笛」の名称は「歌舞伎囃子の能管」と「祭の竹笛」とが出会って生まれたのかもしれません。ただし、突拍子もない名前ではないので、自然発生的に使われ始めた可能性も十分に考えられます。

文政四年(1821)起稿の屋代弘賢(やしろひろかた)による類書(百科事典)『古今要覧稿(ここんようらんこう)』の「川竹」の項には「篠笛」の名称が見え「川竹・なよ竹・女竹 ~ 今俗に女竹をもつて篠笛草苅笛を作るものは即この遺風なるべし」と記されます。

明治に入ると「篠笛」の文字が散見されます。六世・福原百之助氏は著書の中で「篠笛の命名、数字譜の考案は父の五世・福原百之助(明治十七年生まれ)」と述べられていますが、既に江戸期に「篠笛」の用例が確認できますし、明治二十六年(1893)の序文を持つ『篠笛獨稽古』も発行されており、これは誤りです。

『古今要覧稿・写本』[国立国会図書館 所蔵]
明治期に発行された各種篠笛教本
[篠笛文化研究社 所蔵]